赤の他人に過程を見てもらえるkakiの贅沢な体験
社会では結果が全てであることが多い。

なぜ文章をリプレイできるようにしたのか
※ この記事の執筆は、録音しながら行なっています。
私が開発したこのサービス「kaki」の最大の特徴は、書いた文章を作る過程を読み手が見れるところです。
そもそもなぜ文章をリプレイできるようにしたの?というご質問をいただいたので、記事で答えていこうと思います。
質問していただいた方、ありがとうございます。
まず答えから言いますと、文章を書いている過程には、書き手の人間らしい息遣いが現れると思ったからです。
文章を過程を見せることによって、書き手がどんな人で、どんなことを考えながら文章を作っているのか、よりイメージでき、「文章を書き、読む」と言うコミュニケーションをより立体的にできるとかんg。
今まで文章を書いて読む行為って、「完成品」を介したコミュニケーションだったと思うんです。
自分の意図通りに文章を組み上げて、自分が出来上がったと思ったタイミングで切り上げて、それを読み手に提示するという、「完成品」を提供するスタイルです。
完成品は情報を過不足なく伝えられる状態ですが、完成に到達するまでの長い思考の道のりが埋蔵されています。
この思考の道のりの中で削がれた情報量、記録されない情報量があります。
例えば、書くスピードだったり、修正の頻度であったり。
また、書いているときの音もそうですよね。
これらの情報は、最終的に読み手には届けられません。
その届けられない部分に、「人間らしさ」という価値が眠っているのではないかと思っています。
完成品の文章を見ただけだと、この人は堅苦しい人なのかな?と思ったとしても、リプレイを見てみると実は相当繊細に言葉を選んで、情報を丁寧に紡いでいる人なんだとわかったり。
逆に、本当に流れるように思考を書き下しているんだ、と気づいたり。
その人らしさ、っていうのが、制作過程に出ると思うんです。
Kakiは、文章の持っているその辺りの可能性を刺激してあげたい。
過程を見せる、という新しいコミュニケーションが、ともすれば文字だけの人になってしまいがちなインターネット空間で、より温度の高い、人対人の関係性の構築に役立つのではないかと思います。
A writing medium that delivers even the writing process
© kaki*

なぜ文章をリプレイできるようにしたのか
※ この記事の執筆は、録音しながら行なっています。
私が開発したこのサービス「kaki」の最大の特徴は、書いた文章を作る過程を読み手が見れるところです。
そもそもなぜ文章をリプレイできるようにしたの?というご質問をいただいたので、記事で答えていこうと思います。
質問していただいた方、ありがとうございます。
まず答えから言いますと、文章を書いている過程には、書き手の人間らしい息遣いが現れると思ったからです。
文章を過程を見せることによって、書き手がどんな人で、どんなことを考えながら文章を作っているのか、よりイメージでき、「文章を書き、読む」と言うコミュニケーションをより立体的にできるとかんg。
今まで文章を書いて読む行為って、「完成品」を介したコミュニケーションだったと思うんです。
自分の意図通りに文章を組み上げて、自分が出来上がったと思ったタイミングで切り上げて、それを読み手に提示するという、「完成品」を提供するスタイルです。
完成品は情報を過不足なく伝えられる状態ですが、完成に到達するまでの長い思考の道のりが埋蔵されています。
この思考の道のりの中で削がれた情報量、記録されない情報量があります。
例えば、書くスピードだったり、修正の頻度であったり。
また、書いているときの音もそうですよね。
これらの情報は、最終的に読み手には届けられません。
その届けられない部分に、「人間らしさ」という価値が眠っているのではないかと思っています。
完成品の文章を見ただけだと、この人は堅苦しい人なのかな?と思ったとしても、リプレイを見てみると実は相当繊細に言葉を選んで、情報を丁寧に紡いでいる人なんだとわかったり。
逆に、本当に流れるように思考を書き下しているんだ、と気づいたり。
その人らしさ、っていうのが、制作過程に出ると思うんです。
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